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黙祷 

14年前のことは今も鮮明に覚えています。
実家の大阪で成人式を迎えた翌々日のことでした。

雷が鳴り響いて天変地異が起こる・・・そんな夢で目が覚めると
ブラインドがゴトンゴトンと壁を叩いて揺れていました。
幸い住まいは震源から遠く、うちは無事でした。

飛び起きてリビングに家族が集合したときには
慌てたようすでNHKが地震のニュースを繰り返すばかり。
まだ早朝だったこともあり、私は寝室に戻り床につきました。

何度めかの余震で目が覚めてまたリビングに下りると
あの光景がずっと映し出されています。

――後に阪神・淡路大震災と呼ばれる災害でした。


当時、うめだ阪急百貨店に出向していた私は、
地下鉄が動き出すと午後一番に出勤しました。地震の後片付けです。
もちろんエレベータやエスカレータはストップ。
売り場にたどり着くまでに2回、
20センチほど開いて下の階が見える床の裂け目を飛び越えました。

売り場責任者は社員に安否確認の電話を続けていました。
他の皆は黙々と、床に崩れた商品の破片を分別していました。
翌日には出勤できる従業員だけで営業を再開。
客もまばらで、仮営業の雰囲気が漂っていました。

それから数日後、神戸の店へも片付けに向かいました。
復旧していた青木(おおぎ)駅まで行き、そこからは徒歩でハーバーランドへ。
見るもの全てが傾いて見え、水平垂直が何も信用できません。
今思うと、よくぞ倒壊に巻き込まれなかったな、という危険な道を
上司と2人で黙々と歩き続けました。


神戸で被災した友人と話したのは、数週間も後のことでした。
その体験談は凄まじいもので
自分の体験なんて全然たいしたことありません。

青年男子はみな朝から晩まで救助に明け暮れ、
食事の配給は老人、子供、女性を優先し、やっとありつけたおにぎり1個でさえ
近くの子供にねだられて分けてあげたそうです。

彼とは違って、私は直接被災したわけではありません。
でもあのときに何か、何かが変わった気がします。
それは「生きている」という実感、かもしれない。

あの瞬間は、これからもずっと忘れることができないでしょう。
平成7年1月17日午前5時46分 兵庫県南部地震発生

―黙祷―
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