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誤変換「向かうところ、的な」 

向かうところ的な詩
(向かうところ敵なし)


中二病ポエマーかよ!
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かまけぐせ 

「なまけぐせ」ならぬ「かまけぐせ」。

なんでも忙しさを言い訳にするクセがついたひと。
「忙しくてできませんでした」
「あ、忘れてた。忙しくて・・・」

自分の場合は忙しいフリしてサボってるひと。
ネットサーフィンは欠かさないし。
メールのやりとりは時間かけてるし。

・・・だめじゃん。だめだめじゃん。


と、前回のエントリーで愚痴ったことを猛省。
お恥ずかしい限りであります。m(_ _)m


無意義 

『忙しさにかまける』とかいうけれど
その忙しさも充実してないと気持ち悪いよね、という話。

今の職場、業者とかお客さんからの電話が比較的多いので、忙しい。
あ、でも私に用がある電話はほとんどない。
いわゆる取り次ぎだけ。
これがけっこう無意義な気持ちになるもので。

たとえば自分が電話オペレータなら、
それが忙しくても充実する一日だと思うんだけど、そうじゃない。
しなきゃならないことがあるのに、電話は鳴る。
それも、電話が終わって一段落ついて
さあ取り掛かろうとしたら、鳴る。

・・・いぎぎ。

 
ぎゃー、愚痴だ!

とかいいながら、
結局仕事に集中できないからこんなこと書いてたりするんだよね。
完全に『かまけて』ます。仕事しろ仕事っ!
あ、でも昨日の原稿はすごい勢いで済ませてた。
集中すればなんとかなるもんだ。

これでいいのか?おれ。
 
 
 

こんなとこ、早く脱出したい。
 
 

ぐぐっ。遅れ気味 

一週間遅れの原稿に着手・・・できたらいいのに。

あー、気が散る!(横でけんか腰に電話してるヤツがいる)。

写真がない。まずは原案から。
手順ムチャクチャ。

あー、気が散る!

どこか遠くへ行きたい 

冬は道が凍ったりして危ないので遠出しない。

うずうず・・・。
明日は休みだけど、どうしよう。

永六輔御大もなおお元気そうでなによりです。

たまにはラーメンの話でも 

名古屋に越してきた当初から、よく行くラーメン店がある。
チャーシューがとにかく大きくて、角煮。
うまいけど、毎回食べた後にかならず
「・・・負けた」
と言ってしまうほど、ズッシリ食べ応えのあるラーメンを出す店。

今日、久々に“挑戦”してきた。
すんなり食えた。
チャーシューが若干薄くなっていた。
手加減なんかしやがって、
おれの勝ち気をそぐんじゃねえ!

でもおいしいよ。これぐらいでちょうどいいよ。
ラーメンは勝負なんかじゃないんだ。
ごちそうさまでした。

・・・うーん、何か淋しいなあ。
オヤジに勝っちゃった、あの思春期みたいな感覚。

これも不況の波、なのか。
 

声フォント 

 前回書いたことが、自分的にはやや消化不良。
記事中のリンク先を読まないと言いたいことが伝わらないかもしれない。なんだ?リンク先のほうが大事な記事って・・・。意味ねぇー。

 今日はCM音楽の代表、サウンドロゴの話。数秒で商品名やイメージを印象付ける大事な音楽。今でも作られているはずだけど、昭和のサウンドロゴ職人にはかなわないのかもしれない。
 まずなにより、ロゴマークに必須の「書体」となる「声」の存在感が、最近のはどうも薄いような気がする。バブル以前の広告を見慣れた人間だから、「おなじみの~」と冠された声でないと落ち着かないだけか?

 たとえば最近復刻された「♪サッポロ一番カップスター」の声の主はのこいのこさん。ほかにもいっぱい録音されてるから耳なじみの人も多いはず。『パタパタママ』でも有名で、笑う歌声がステキ。
 「♪布亀の救急箱」「♪カルビーの~ポテトチップス」の藤本房子さん。元祖カマトトヴォイスと呼ばれる貴重な存在。ワタシ個人的にも萌える声デス。
 スリーグレイセス、ボニージャックス、ダークダックスのコーラスも欠かせない。耳なじみを並べ立てたら枚挙に暇がございませぬ。

 そんな“声の職人”もそのうち聞かれなくなるかもしれないと思うとさびしいもので。写植がデジタルフォントに変わったように、写真フィルムがデジカメに変わったように、何でもかんでもデジタルだ。デジタル歌手(ボーカロイド)だってこの先もっと高性能になるだろう。
 そうなるなら、ぜひともおなじみ昭和の声も再現して「フォント化」してほしいものである。
 って何言ってんだろう自分。まったく、とんでもない時代になったもんだ・・・。
 

おじいちゃんか、仙人か 

 以前、こんな記事を読んで感心した。
 もしかして「おじいちゃん」というのはすごいのかもしれない。

 で、また宣伝になっちゃうけど紹介しますよ、と。

 これは、昭和のCM音楽を作った一人の御大のコトバ。

ひとたびTVにサラサれたCM音楽は「作品」などではなく、
マーケティングの「ウンコ」に過ぎない。

(『レクイエム・CM50』桜井順・著より)

 この『レクイエム・CM50』と題されたコラムは、『桜井順CM WORKS』というCDのライナーノーツとして御大自身が寄稿したもの。なんとも皮肉たっぷりなこのコトバに“悟り”のようなものを感じた。

 昭和のCM草創期~円熟期の50年を、ずっと第一線で走り続けた人だからこそ言える、ぶっちゃけすぎたコトバ。
 よく「言っていいことと悪いことがある」というけど、そんなものはすでに超越して、出た答えが「ウンコ」。そのコトバがどうあれ、言っていることがズバリすぎる。もはや仙人の域。
 「この老人、何言ってんだ?」と思うのは早合点だ。人生の絶頂期に盟友(CMディレクター杉山登志)を亡くし、奇才たちと出会って今があるという御大の半生が綴られた『レクイエム・CM50』を通して読めば「ウンコ」の意味も違って聞こえるはず。

 コレクション音源としてCDを買ったつもりだけど、ついてくる小冊子にこれほど満足感を得たのは久しぶりでした(曲目ごとの解説もご本人。軽妙なタッチの逸話がたっぷりです)。オススメなのでぜひどうぞ。

桜井順CM WORKS(1957-2007)
 

「いらう」は全国に通じるか 

たぶん大阪とごく一部の限られた地方にしか通じない方言だと思う。

「いらう」

(用例)
「そこをちょちょっといろといてくれたらええねん」
「だれや?ワシの机いろたん
「そんなばっちぃ手ェでいらいな!」

(対訳)
「そこを少しだけ手を加えておいてくれればいいんだ」
「だれだ?私の机(の上を勝手)に手をつけたのは」
「そんな汚い手で触っちゃいけません!」

触る、いじる、手をつける、みたいな言葉―「いらう」。
地元を離れて10年近く、通じないとはわかっていながら
脳内ではこの言葉がまだ生きています。

セカチュー 

「世界の中心で愛を呼ぶ」


・・・上記誤字あり。すぐわかった?

気になってググッたらしっかり指摘された
つーかすでに書いてた人がいて、ちょっと悔しい。

おとうさんたち、注目! 

あまりにいい買い物したので宣伝しますね。

NHKではずっと『おかあさんといっしょ』をやってますが、
案外、昔から『おとうさんといっしょ』的な番組もあったわけです。

たとえば『お笑いオンステージ』の『減点パパ』コーナー
三波伸介さん司会の名物コーナーで、これなんてまさに『おとうさんといっしょ』。
当時の自分はモチロン子供だったけど、懐かしいな~。

といっても全然忘れてた番組なんですが、このたび買ったCDにそのテーマソングが入ってて、ほんのりと思い出しました。
なによりこの歌、子供目線で描かれた歌詞が秀逸。前半はイヤな大人の代表みたいなおとうさんを歌っててほほえましくも耳が痛いんですが・・・

(歌詞後半)
そんな減点パパだけど 三日もいないとさびしいよ
タンスの背広に鼻くっつけて
「パパ」とちいさくよんでみた
「パパ」とちいさくよんでみた


なんだかんだいっても、子供はおとうさんが好きなんですよね。
・・・ほらおとうさんがた、不覚にも目にゴミが入っちゃったりしてませんか。

この歌、下のリンクから買えるCDに入ってます。
(ほかにもオススメな歌がズラリ収録!しばらくこれでネタが書けるかも)
天地総子大全~フーコのコマソン・パラダイス

独立独歩 

チャンネルを回してて、偶然出会った深い言葉。

「自分の道を信じて歩いていれば
誰でもやがて一人だけになる」


本場ドイツでオペラの演出家になった日本人が
彼の師匠から聞いた言葉だそうだ。
その言葉を信じて今の自分がある、と彼は言う。
(うろ覚えなので間違ってたらご容赦を)

自分を信じろ、信念は曲げるな、と。
理解されなくてもくじけるな、と。
最後の一人になるまで歩き続けろ、と。

『第一人者の作り方』とも言える言葉にグッときた。

黙祷 

14年前のことは今も鮮明に覚えています。
実家の大阪で成人式を迎えた翌々日のことでした。

雷が鳴り響いて天変地異が起こる・・・そんな夢で目が覚めると
ブラインドがゴトンゴトンと壁を叩いて揺れていました。
幸い住まいは震源から遠く、うちは無事でした。

飛び起きてリビングに家族が集合したときには
慌てたようすでNHKが地震のニュースを繰り返すばかり。
まだ早朝だったこともあり、私は寝室に戻り床につきました。

何度めかの余震で目が覚めてまたリビングに下りると
あの光景がずっと映し出されています。

――後に阪神・淡路大震災と呼ばれる災害でした。
続きはこちら>>

変わらない、ということ 

50年間ぶれずにわが道を行くことができるか?
生きていればどこかで変化を求められることもあるだろう。

そりゃあ50年といえば少年期から老年期までの長い時間。
まったく変化しないなんて、ありえない。
でも、わが道を行くことを忘れちゃいかんと思うのだ。

NHK教育テレビが50年目だそうだ。
ずっと変わらない、何か「芯の強さ」を感じる次第であります。

どーする?どーすんのオレ? 

ここにいくつかの選択肢があったとする。
その中に「やめておく」とか「なにもしない」というものがあったとしたら
それを選ぶのが正解ということもある。

たとえば「ちょっと酒が足りないな・・・」というときに
「コンビニに走る」か「やめておく」かの選択は
「やめておく」が正解なのだ。

と、ひとり飲みで深酒をした翌朝に思いついた。
二日酔い。最悪のコンディションの今日。

えげつない 

インターネットって便利だ。とつくづく思う。

「えげつない」の「えげつ」って何やねん?


・・・と思ったらすぐ検索。
「えげつない」「語源」でググる。

今でこそ全国で通じるんだろうけど、もともとは関西弁のようだ。
ネイティブ関西人としては、これに代わる言葉が見当たらない。
それほど「えげつ」というモノがあったとしたら、
最上級の汚さ、臭さ、悪さを想像する。
あ、でも「えげつない」のだからその逆か?

(あまりにゲームバランスの悪いゲームをやってたら
敵の「えげつなさ」にムカついたのでこのエントリーを書いた次第です。)

「行う」と「行なう」 

風邪気味なのでササっと。

帰り道、道路工事の看板が目に入った。
そこにはこんな2種類が並んでいた。

『舗装工事を行っています』
『舗装工事を行なっています』



日本語としては『行(おこな)って』が正しいんだろうし、そう教わったと思う。
でもこの場合、どちらかというと『行なって』の方がやさしい。

目くじらを立てるわけじゃないけど、過保護すぎるよね、今の日本。
こういう場合はこう読むのだ、と正しく教育されていれば
日本語は今ほどグチャグチャにならなかったんじゃないかな。

正しいコトバってなんだろうなあ、と思った次第であります。

うーん、なんか熱っぽくてまとまらないよ。

芥川龍之介を読んでの感想文 



すごい。




400字詰め原稿用紙の真ん中に、どーんとこう書いていたら
学校の先生はどう思うんだろう。

芥川龍之介。
私、文学少年ではなかったもんだから
恥ずかしながらこの歳になって初めて本気で読んだ。
青空文庫さまで読めます)

名作「蜘蛛の糸」、「杜子春」を続けて読んだ。
どちらも15分ほどで読みきれるほどの短い物語なのに、壮大なスペクタクル。

読者の想像力を刺激する―の意味をあらためて実感した。
とにかくすごいや。

ざまぁ! 

コンビニの入り口前にエンジンをかけたまま横付けしている高級車。
それを見たひとりのおっさんが
車中に誰もいないことを確認すると、おもむろにドアを開け
エンジンを切り、そのままキーを抜かずドアの鍵を閉めて立ち去った。

若いチャラ男とそのオンナが店を出てきた。車に乗り込めずオロオロしている。
おっさんはもういない。ケータイは車内に置いてある・・・。

若い二人のその後は、知る由もない。


(フィクション)

年越しにて 

・大晦日

今年も私の休暇は元日1日のみである。
それでも年越しの1泊のために実家に帰った。
大晦日の夜、カウントダウンはみんなでテレビを見るのが通例。
すでに実家は地デジ対応テレビである。
ということはつまり、年越しの瞬間は2秒遅れだったのだ。
・・・まあとにかく、おめでとう。

・初詣

元日は、雨の中を初詣してきた。
晴れ着でもなく、もちろん“よそいき”でも一張羅でもなく
普段着のまま地元の大きな神社へいってきた。
たったそれだけのことだけど、これも正月かな、と思った。

・おせち

実家では、すでにおせち料理が形式的なものになっていた。
お重に入れられた煮物は、夕方にはタッパーにつめられて冷蔵庫へ。
日本の風情が薄れていくことを憂う。
といいつつ、夕食にみんなで囲んだ鉄板焼きは旨かった。

・成長

去年の正月は帰っていないから
兄の娘、姪っ子とは2年ぶりに会った。もう小学生だという。
手加減なしのパンチキックは、正直痛い。
でも数年後にはそんな攻撃がなくなる。そう思うと淋しいもんだ。
ちょっとだけ娘の父の気持ちがわかる気がした。

・ルーツ

今の実家は私が小学生のころに引越してきたところだ。
話の流れで、兄が車で旧実家を訪ねるツアーを企画した。
私にとって20年近くぶりに訪れる生家の町だ。
ほとんど変わっていない。ただ、ずいぶん狭い町並みに驚いた。
町は変わらない。自分が大きくなったから狭く感じただけである。

・一年の計

「平穏無事」
いままで神社でこれほど無難な願い事をしたことがなかった。
今年一年、何事もなく過ごせればそれでいい。
来年も再来年もその次も、ずっと。
そして数年前の、今の自分を振り返って
すこしでも大きくなっていれば、それでいい。



あけましておめでとうございます。


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